Cから始まった時間

還暦を迎え、これまでのこと、これからのことを毎日書き残したいと思います。

ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~

もはや認めざるを得ません。母が認知症になってから、
私は努力しないと母を愛せなくなりました。
取り乱し泣き叫ぶ姿を見ていると、大好きなあの母と同じ人だとは、
どうしても思えないからです。
でもこれは、やがて訪れる母との別れを考えると、
皮肉なことですが一種の「救い」にもなりました。
 (中略)
だから思うのです。もし母が認知症にならないまま亡くなっていたら、
いい思い出ばかりが残りすぎて、悲しみと喪失感で耐えられなかっただろうと。
乱暴な言い方ですが、認知症になったことで大好きな母は、
私の中で少しづつ死んでいったように感じられるのです。
これはもしかしたら「神様の親切」なんじゃないか。
神様は母の姿を徐々に変えていくことで、
少しずつお別れをさせてくれているんじゃないか。
母がこの世からいなくなってもそれほど悲しまなくて済むように、
「穏やかで諦めのつく死」を用意してくれているんじゃないか。
こんな考え方をするのは親不孝かもしれません。
でも、親の醜態を目の前にして心の平穏を保つには、
こんな風にとらえるしかなかったのです。正直、藁にもすがる思いでした。
そして実際、母が亡くなった時、自分の予感は正しかったと知りました。
私の心を占めたのは、悲しみよりも安堵だったのです。
「お母さん、苦しみから解放されてよかったね」という…


「あえて自分のどす黒い部分を書きました」と
信友さんはおっしゃっている。
私の場合、もっと黒すぎる
母に対して「愛そう」などとは思わなかった。
好き嫌いではない、もう義務としか言えない
そんな思いで接していたように思う。
本当に余裕が全くなかった。
ただ母の思いをなるべくかなえたい
少しでも嫌な思いをさせたくない。
ただそれだけだった。
その気持ちを愛とは言えない。


悲しみより安堵の気持ち…
手に取るようにわかる
まったくその思いしか、なかった。
不謹慎でも「よかったねぇ 楽になれて」と
伝えた。


さまざまな儀式を淡々とこなしながらも
母がいなくなったとは思えず
形はなくなってもすごく近いところで
一緒にいる感覚が早くからあった。
それは今もそう。


「おかえり お母さん」の
ことばに込められた意味が痛いほど伝わって
しばらく放心状態だった。


この本を残してくれてありがとうございました。