Cから始まった時間

還暦を迎え、これまでのこと、これからのことを毎日書き残したいと思います。

娘がこのたわごとを読むときはいつか

死んでった時に娘が見つけて読んでくれたらとおもって始めたブログ
さて、それがいつになるのかと最近ふと思う
そんなことは誰にもわからないだろうが
それが5年ごと、20年後とでは
読む側にとっての感慨というか、思いも違うだろうなと…


父が亡くなったのは私が33歳の頃
寡黙な父だったこと、
私はその頃は夫の単身赴任に付き添って関西住んでいたこと、
そんなことで、なにか父が書き残していないかと
遺言などではなく、父の形跡を見つけたくて探してみたが
何一つ残っていなかった。
整理したとかではなく、そんなことに興味もなかったのだろうと…
その時は思っていた。


でもあれから自分も歳を重ねて思う。
残すことがすべてなのだろうかと…
形として残っていないからこそ
生前の姿だけが記憶として残る事、それも良いのだと。


では、どうしたここに書く?
はたして娘になにを残したい?
なんとなく自分の為だと言う気がしているが
いつ消しても構わないし
娘がたどり着く可能性も極めて少ない。
そのうち、自分の中で整理できる日がくるだろうが
父を失った時の持って行き場のない喪失感を
娘に経験させたくないためかもしれない


さて、あら捜しした父の机から抜き取ったただ一つの物
「流れる星は生きている」藤原ていさんの引き上げの話
言わずと知れた藤原正彦さんのお母さま


数えきれないほど読んだ
いつ読んでも力をくれるこの本
いつ読んでも父がそばにいると勝手に感じてきた。
そこには父の字で「妹に贈ってもらう」と日付とともに
父の肉筆が残っている。

秋は色々なことに思いをはせる
良い季節だと心から思う。