Cから始まった時間

還暦を迎え、これまでのこと、これからのことを毎日書き残したいと思います。

「如月サラ」父がひとりで死んでいた

以前、ネットかなにかで記事を読んだ気がして
手に取ったみた。


「一週間分ほども料理が残った鍋の中身を見て、
 父は生きるつもりだったのだと思った。
 命の炎が尽きていこうとしていることに
 おそらく気づきながらも、
 少なくとも、最後の瞬間まで生きようとしていたのだ」


この言葉を作者が書く背景を想像してしまう。
作者がそう思いたかったのか
事実そうであったのか…
結局はどちらでもよいのかもしれない。
母を看ていた時間が
そんな風に思わせるのか。


グループホームから救急車で運ばれたとき
状況と今後の方針について手短に廊下で聞かされた。
それくらい素人が見ても、呼吸が正常でないことはわかった。


「気管切開はしません。
 痛みがないことだけお願いします」


即答した私に医師は
「ほかに姉妹いますよね。そちらの意思も確認してください」
もっともな言葉だ。
姉はしばらく黙った後「それでいいと思う」と答えた。


88歳まで自分の実家の茶舗を受け継ぎ
店頭に立っていた。
肺炎を患い、それがかなわなくなって自宅にいるようになってから
生きがいを失ったように「どうしたら死ねるんかね」とつぶやくことが増えた。
自分では十分生きたということか
こんな状態なら生きていても仕方ないと思っていたのか。


母が逝って、忙しさが落ち着いたころ
こんな愚かな娘でも
少しは悩んだ。


結果、私が生きることを絶ってしまったのだろうか、と。


ならば私が母の立場だったらどうか…


人を送るのに経験なんてない。
後悔のない送り方などあるのだろうか。


四十九日まで毎日実家に通い
線香を上げ続けた。
ある日、帰り支度をし靴を履こうとしたとき
「ありがとぉ」と母の声が聞こえた。
生前、毎日朝夕と顔を見て、食事をさせてを
繰り返す毎日
帰り際には必ず、ほんとうに必ず
母はベットからそう叫んだ。
その特徴のある語尾を延ばす「ありがとぉ」が確かに聞こえた。


それで私の判断は正しかったと思ったわけではない。
母はどこにもいっていないんだ
ここにいるんだ、私とともにいるんだ。
そう思えた。
気持ちが少し軽くなった。


この本を読んでそんなことを思い出した。
きっとほかにも同じ思いをされて方がいると思う。
そうやって少しずつ分け合える機会があるのはうれしい。