小鍋を新しくするのに勇気がいった。
息子が大学進学で家を出るとき
簡単な調理器具を持たせた。
どうせ大したものは作らないだろうと
鍋は小鍋
それもお安いもの。
当然家に戻ってくるときに
それらも持ち帰る。
お安いものであるが捨てられない。
何となく捨てられないまま、10年近く使っていた。
茶色い色はくすみ、内側は傷が出来はがれてきている。
気合を入れて(気合を入れる事でもない気がするが)処分することにした。
二人暮らしとなるとこの大きさが汁物を作るときにはちょうど良い
同じ大きさを求めるために
この鍋を購入した店舗に足を運んだ。
本当は少し遠い、もっと身近なところでも鍋は求められるが
どうしてもそこはこだわりたかった。
なぜかこの店を思うときには息子にもたせた鍋を思い出していた。
店舗と共に
息子を送り出す心寒さが思い出されていたのかと
今更ながら気づいた。
思い出はどうやって作られ、どのように思い出されるのか
わずか数百円の鍋と共に私の記憶に刻まれた。
新しく買った鍋はかなり悩んだくせに
そしてお値段もそこそこだったのに
なぜか使い勝手が良くない…残念だ。
それも心のどっかに苦い思い出として残っていくのだろう
この店舗と共に…
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