Cから始まった時間

還暦を迎え、これまでのこと、これからのことを毎日書き残したいと思います。

人の気持ちに寄りそうってこと

出勤途中 特別支援学校に通う親子さんがバスを待っていた。
楽しげな会話に朝からほっこりした。


その瞬間 なぜかフラッシュバックのように
母の笑顔が浮かんだ。
母の最期の笑顔の写真が…


介護施設から病院に救急搬送された。
急いで駆け付けたらすでに呼吸が苦しそうで
正直 もう難しいと感じた。


母は精一杯生きてきた
その思いは十分すぎるほどあったけれど
それでもここまで苦しそうになるまで気が付かなったのかと
夜の就寝時間の間に激変したのかもしれないけれど
気が付かなかったのかと…
今思えば、職員さんにより、たぶん施設に預けてしまった自分を
責めていたような気がする。


これから責任を果たさなくてはとの思いと
施設に預けるまでそれなりに精一杯してきた思いからか
あまり涙もででなかった。


葬儀の時、施設職員さんが「これを」とA4判に引き伸ばした写真をくださった。
ひと月足らずの入所で、一度だけ郊外へ出かけた折の笑顔の写真


声をあげてその場にへたり込んでしまい、立てなかった。
信じられないくらいの涙があふれた。


こんな笑顔がでる日々を送っていたのか
施設に預けた自分をどこかで責めていた気持ちが嘘のように軽くなった。


遺影は別の物を用意したが、いただいた写真はその横でいつも笑っている。
姉の家、私の家、私の子どもらの家に1枚づつその写真はある。


人の一番つらい気持ちのよりそう、さりげない思いやりを
あらためて感じた時間だった。
最後の時、施設の職員を疑った自分を責めた…最低の人間じゃないかと。

青梅の季節が来た。
母は縁側に座り、私がもいだ梅を大切そうに受け取ったあの日
「この季節はもうきっと来ない」そうわかっていたからこそ
今でも強烈にその日が蘇る。